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こんにちわ。
久々に曲について思っていることを
言葉にしようと思ってます。
実は最近言葉に気持ちが埋もれて
非公開の記事ばかりたまっていってます。
これも非公開にならないことを祈りながら。
藍坊主の「ハローグッバイ」
初めて歌詞を読んだときに
心の中がわしゃわしゃして
なんかかき乱されて
腰を浮かさないといけない気がした。
あたふたした。そんな曲
⇒歌詞
「存在」と「空白」
「ある」と「ない」
この定義はなんて曖昧なんだろう。
ある はずなのに、ないもの・・・
少しずつみていきたい。
Aメロ。
♪~ヨーグルトのカップに赤とんぼが止まってる
カラカラ乾いた夕日の匂い~♪
↑前半部分は情景が浮かんでくる。
現実味のある世界。
♪~木枯らしは木枯らしでアリはアリで
ネコはネコけどぼくは、
いまだに、ぼくになれない~♪
後半部分は非常に概念的。
それぞれに自分の思ってる概念的なものと
誰かが名付けた普遍的名称がある。
今あたしが眺めるPCはPCで
横で寝ている犬は犬だ。
基本的にそれは一致する。
だけど、僕は僕、あたしはあたしなんだろうか?
あたしがあたしたらしめるものは何?
君からみたら
あたしは“あたし"ではないよね?
“あたしをあたしだと定義できるものは無かった。”
↓
♪~劣等感の固まりがずっと、息をしても
パンを食べても、飲み込めないところに
詰まってんだ、バケツ三杯分じゃ足りないくらい~♪
Bメロ。
あたしも大概劣等感抱いて生きています。
きっと誰だって。
だって、あたしがあたしでありうる理由が見つからない。
サビ
♪~あなたが生きているこの世界に僕は
何度でも感謝するんだ
溜め込んだ涙が腐ってしまう前に
ハローハローグッバイ~♪
自分(あたし)という存在を定義することは困難で
自分という存在は本当に曖昧なものだった。
“あたし”を存在させるためには
“あなた”という他者が必要だった。
“あなた”が居なければ“あたし”は存在できない。
だからあなたの生きているこの世界に感謝する。
♪~「ドーナツの穴ぼこは、存在か空白か?」
と誰かが言ってた、美しい言葉。
ぼくの抱える穴が、意味のある存在だったら、
どんなにいいだろう。救われるよ。~♪
私はこの歌詞に救われたよ。
「ドーナツの穴ぼこは、存在か空白か?」
どっちだと思いますか?
あたしは存在であってほしいと思います。
一応語源とかからちゃんと考えると
穴が開いたもの=ドーナツではないです。
穴ぼこは火の通りをよくするため。
逆に言えば“穴ぼこ”という存在があるからこそ
火の通りがよくなる。
意味のある存在なんだ。
そう考えると“ぼくの抱える穴”だって
意味のある存在だと思う。思いたい。
火の通り=ぬくもり 幸せ
って考えてみた。
穴を抱えないガッチガチに固めた心よりも
穴ぼこのあいたちょっと弱い心のほうが
ぬくもりや、幸せを感じ取れる。
そんな気がする。
♪~幸せの絵の具絞ったらチョコレート色が少しでた、
くだらねぇ と口に出したら、消えてしまいそうな光だった~♪
幸せ。穴ぼこを抱えた心にはよくしみこむ。
くだらないかもしれないけど、
目をそらしたら消えそうなほど儚く暖かい光。
サビをはさんで
ココからは歌詞の感じが変わる。
綺麗な言葉。
あたしも走り出そうと思う。
この世界に感謝しながら。
長い!意味わからん!あーごめんなさい。

