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才能って言葉が嫌いだ。
“才能”ってものはあると思う。“天才”が居てもいいと思う。
だけど
普段耳にする“才能”って言葉はどっか薄っぺらくて
嘘っぽくて、なんだか汚い。
こんな話前にも書いたかな?まあいいや。
たとえば、A君がテストで100点取りました。
そのA君の100点は彼の才能によるものなのか
それとも努力によるものなのか。
これを知る人は、存在しない。
たとえば、A君のママ。A君のママは
「この子は小さい頃から頭がよくてね♪」
と自慢げに言うかもしれない。塾の先生は
「A君テスト前よく頑張ったもんね♪」
と言うかも知れない。友達は
「Aは才能あるからいいなー」
とねたむかもしれない。
さあどれが正解?
A君本人に聞いてみよう。
「わからない」
のではないだろうか?
きっとA君は
確かにテスト前に頑張ったのだろう。
きっと努力は存在する。
だけど生まれながらの才能ってヤツが
気付かないうちに作動していたのかもしれない。
それなのに
その「才能」の二文字に全てを乗せることは
あまりにも無責任で寂しいことじゃないだろうか?
あたしには周りの「できなかったこと」に対する
ただの逃げ道にしか聞こえない。
上記に例に出したA君。
彼の100点のテストに対して
友人B君の言葉。
「どうせ俺は才能ないから無理だよ。
Aは才能あっていいような~」
A君はどんな気持ちだろうか。
たしかに“才能”ってやつが
存在したかもしれない。だけども、
A君が努力したことも確かだ。
寂しくない?悲しくない?
全ての努力を無駄にしてしまう、
否定された気分になる。
そしてB君の“無理”という言葉の
ただの言い訳にしか聞こえないのだ。
最近よく、あたしの周りで“才能”
という言葉を聴く。
部活動の新入生(仮にPちゃん)に対して、
確かにPちゃんは“才能”というものは持っている子だろう。
だけど技(体操やってます。)ができるたびに
「Pちゃん才能あるよ!」
なんていわれたら。
多分あたしが捻くれてるだけだと思うけども、
頑張って技に挑戦した“ちっちゃな勇気”とか
そんなのぜーんぶ“才能”にまとめられちゃったら。。。
すごくすごく寂しい。そしてできない自分を
保護してるようにしか聞こえない。ただの言い訳。
嗚呼どんどんわけのわからない話になってきた。
まあそろそろ終わろう。
あたしが言いたかったのは多分
才能 って言葉を逃げ道にしたくない
てこと。
こんなあたしが一番才能って言葉に
縛られてるんだろうな。
あ、才能ってものは存在すると思ってますよ。
生まれたときから潜在能力?
見たいなのが万人共通だとは思っていません。
それを見つけれるか、生かすのか殺すのか、
そんなことも誰もわからないのだから。
努力したら才能なんてものが乗り越えられる
とかも思ってません。
そんな陳腐な才能ならあっても無くても一緒でしょう。
才能5の人が 才能100の人と
同じだけ努力しても才能100の人には勝りませんから。
いくら才能があっても持ち腐れにしてしまったら
意味もないしね。
どんどんどんどん
あらぬ方向に話が向かう。
まあいいや。
ただ才能を逃げ道にしたくない。
才能を生かせた誰かのためにも
才能を見つけられていない誰かのためにも。
そんな寂しいことはしたくない。
よし。
わっけわからーんw


こんにちわ。
久々に曲について思っていることを
言葉にしようと思ってます。
実は最近言葉に気持ちが埋もれて
非公開の記事ばかりたまっていってます。
これも非公開にならないことを祈りながら。
藍坊主の「ハローグッバイ」
初めて歌詞を読んだときに
心の中がわしゃわしゃして
なんかかき乱されて
腰を浮かさないといけない気がした。
あたふたした。そんな曲
⇒歌詞
「存在」と「空白」
「ある」と「ない」
この定義はなんて曖昧なんだろう。
ある はずなのに、ないもの・・・
少しずつみていきたい。
Aメロ。
♪~ヨーグルトのカップに赤とんぼが止まってる
カラカラ乾いた夕日の匂い~♪
↑前半部分は情景が浮かんでくる。
現実味のある世界。
♪~木枯らしは木枯らしでアリはアリで
ネコはネコけどぼくは、
いまだに、ぼくになれない~♪
後半部分は非常に概念的。
それぞれに自分の思ってる概念的なものと
誰かが名付けた普遍的名称がある。
今あたしが眺めるPCはPCで
横で寝ている犬は犬だ。
基本的にそれは一致する。
だけど、僕は僕、あたしはあたしなんだろうか?
あたしがあたしたらしめるものは何?
君からみたら
あたしは“あたし"ではないよね?
“あたしをあたしだと定義できるものは無かった。”
↓
♪~劣等感の固まりがずっと、息をしても
パンを食べても、飲み込めないところに
詰まってんだ、バケツ三杯分じゃ足りないくらい~♪
Bメロ。
あたしも大概劣等感抱いて生きています。
きっと誰だって。
だって、あたしがあたしでありうる理由が見つからない。
サビ
♪~あなたが生きているこの世界に僕は
何度でも感謝するんだ
溜め込んだ涙が腐ってしまう前に
ハローハローグッバイ~♪
自分(あたし)という存在を定義することは困難で
自分という存在は本当に曖昧なものだった。
“あたし”を存在させるためには
“あなた”という他者が必要だった。
“あなた”が居なければ“あたし”は存在できない。
だからあなたの生きているこの世界に感謝する。
♪~「ドーナツの穴ぼこは、存在か空白か?」
と誰かが言ってた、美しい言葉。
ぼくの抱える穴が、意味のある存在だったら、
どんなにいいだろう。救われるよ。~♪
私はこの歌詞に救われたよ。
「ドーナツの穴ぼこは、存在か空白か?」
どっちだと思いますか?
あたしは存在であってほしいと思います。
一応語源とかからちゃんと考えると
穴が開いたもの=ドーナツではないです。
穴ぼこは火の通りをよくするため。
逆に言えば“穴ぼこ”という存在があるからこそ
火の通りがよくなる。
意味のある存在なんだ。
そう考えると“ぼくの抱える穴”だって
意味のある存在だと思う。思いたい。
火の通り=ぬくもり 幸せ
って考えてみた。
穴を抱えないガッチガチに固めた心よりも
穴ぼこのあいたちょっと弱い心のほうが
ぬくもりや、幸せを感じ取れる。
そんな気がする。
♪~幸せの絵の具絞ったらチョコレート色が少しでた、
くだらねぇ と口に出したら、消えてしまいそうな光だった~♪
幸せ。穴ぼこを抱えた心にはよくしみこむ。
くだらないかもしれないけど、
目をそらしたら消えそうなほど儚く暖かい光。
サビをはさんで
ココからは歌詞の感じが変わる。
綺麗な言葉。
あたしも走り出そうと思う。
この世界に感謝しながら。
長い!意味わからん!あーごめんなさい。


#
忌野清志郎さんが亡くならはった。
ショックです。やっぱり。
でもいろんなミュージシャンのブログ読んで
安心した。彼は生きてる。生きつづける。
彼のロックは死なない。
ご冥福をお祈りいたします。
空気を読まずめでたい話題を続けます。
3月に行われた
SSTV企画。ラッドリル
知ってるかな?
一応
⇒公式サイト
野田洋次郎コースで
1位でしたwww
わーい
っていっても回答不可の問題ばっかで
どれがあっていたのかも記憶していないw
でも1位と表されたら一位じゃい♪
ってことで自慢しちゃいます!
こんなの届きました~☆!
ラッドリル学習帳
イラストも特徴捉えとって
おもしろいし
なんせかわゆし(ω`)
使い道はわからないのできっと封印ですが
うれしすぎてにやにやしております♪
それでわ。

